トゥデイ>皇帝、ミカンを買い求めるの巻


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 久しぶりのこのヘッダ、皆も待ちこがれた事であろう。#13名物、皇帝トゥデイと言えば、また新しいブームが起こるのでは無いかと目を皿のようにして読む者も多いと聞く。安心したまえ、諸君の期待は報われる事であろう。本日のテーマは「ミカン」である。


 余はミカンが好きである。かなり好きである。この世の果物がミカンを除いて‥‥おかしいな、なんか昔こんな感じの文を書いた事がある様な気がする。デジャブーというやつだろうか。まあ続けよう。いくらでも食べられるものの代表格であるのがこのミカンだが、余もその例に漏れない。コタツでゲームをしつつミカンに手を伸ばす。無意識の内に食す。無意識の内に手が往復し、ふと気づいたときにはコタツに皮を置ききれなくなっているのである。個数にしてざっと20個弱だろうか。

 ちなみにトマトとミカン、どっちが好きなのかと問われると非常に苦しい。世の中はっきりさせない方が良い問題というのは必ず存在する。これもその一つであり、シーズンによって変わるという曖昧な答えしかできない。とりあえずこの寒い季節、青いトマトよりもジューシーなミカンの方がいとおしいのは当然の選択であろう。おまけに風邪にも効くという。こんなうまいものを食うだけで病が治るのだから良い世の中になったものである。

 さて、前置きが長くなったが、本日の勝負である。場所はトマトで余に一杯食わせたあの許しがたい八百屋である。その日の余はちょっと複雑な事情で愛用の自転車を断腸の思いで置いてきて、徒歩で会社に行き、ちょっと複雑な計画が挫折してそのまま徒歩で帰る羽目になったのであった。その帰り道のことである。

 夕食は買ったものの、食後の果物が無い。秋のブドウ以来、どうも最近果物を食べていない。そのせいかちょっと体調が優れない。思えばトマトを食していた時は健康であった。あの異常な暑さを平気で耐えたものだった。ここは一つ、復調を図るため、果物が必要である。

 そろそろミカンの季節では無かろうか。そういう余の期待は、一応はかなえられた。あまり安くは無い気がしたが、これも世の移り変わりであろう。昔はもっと食べ物は一般的に言って安かった様に思う。まあ懐かしんでも仕方があるまい。

 「はいミカン安いよー」‥本当かね。以前騙された親父は避けて、わざわざ別の親父の前に立つ。「兄ちゃんミカンどうだい」皇帝を兄ちゃん呼ばわりするとは、下町の人間は侮れない。まあいいだろう、おじちゃんと呼んだら二度とは買わぬ。良いな、肝に銘じておけ。今日のところは買ってやろう。2キロで500円。昔はこれくらいだと300円程度だったと思うのだが。

 さて、寒さに耐えつつも帰る。帰って幸せな食後を迎える時が来た。一つ取って食う。‥はああ幸せ。なかなか甘いでは無いか。いい季節になったものだ。コタツでミカン。かのクレオパトラも好んだという日本の伝統的幸せの組み合わせである。

 しかし。幸せとは突然の不幸により遮られるものである。夕刊を読みつつ、無意識ミカンモードに突入した余の手に、若干のザラッとした感触が走った。思えばこのとき気付くべきであったが、恐ろしい出来事はそのまま進行していったのである。

 皮をむき、二つに割ってそのままかぶりつく。袋はそのままで2、3粒まとめて食べる。普段ならそこで甘いミカンを味わえるのだが、その時の一口は異様な程苦かった。無意識モードは解除され、視線は今むいたばかりの皮へ。‥‥青白い。それも一部分だけ。俗に言う「腐ったミカン」である。

 口に一度入ったものは吐き出してはならない、という代々に伝わる厳しい掟のため、余は苦いミカンを飲み込む羽目に陥ったのである。‥その後色の良いミカンを5個選んで口直しをしたのは言うまでもない。


本日の教訓:ミカンは厳選したもののみ脇に置くべし

(94/11/15)


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