人生を変えたゲームたち

その1 信長の野望(初代)

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 初代のテープ版。友人宅のFM-7で遊んで衝撃を受ける。そもそもまだ「パソコン」ではなく「マイコン」と呼ばれていた時代で、マイナーさに加えて金額も結構(数十万)したので、持っている人自体がレアだった頃。

 友人宅なので遊んだといってもせいぜい2-3時間程度だろうが、シミュレーションゲームに初めて出会った私は猛烈にハマった。なんだこの面白い機械は。マイコンっていうのか。プログラムってやつを自分で作ればなんでもできるんだな?ゲームセンターで100円投入しても数秒でやられるくらいなら、そのプログラムってやつを作ればタダで自分で再現していくらでも練習できるんだな?

 と壮大かつ卑近な夢を抱いてマイコンについて調査開始。すぐ買わないところが我ながら偉い。昔からケチだったので、こんな大きな買い物してダメだこりゃじゃ済まされないことをよく分かっていたのだろう。調査するにつれ、アーケードゲームを再現するのはそう簡単な話ではないことが段々分かってくる。

 現実を知ると、こうなったら市販のゲームを買うから適当なゲーム機でいいや、とセガマークIIIとかソードM5とかあの辺を狙う。が、そんなところに年上のイトコがやってきて、どうせやるならちゃんとBASICを覚えた方がいいぞ、と2進法の基礎辺りから教えてくれる。5本の指を折って0と1で表現すると、片手で0から31まで数えられるので、これを日夜繰り返して素早くできるようになっておけ、との教えを忠実に守った結果、今でも体に染み付いてる。

 そして図書館でBASICの本を借りて独学で勉強し、ついにお年玉をはたいてPC-6001を買う決心を固める。が、いざ買いに行く直前になってmk2が発売される。しゃべれる機能がついて色々パワーアップして、かつ価格は下がった。今でも覚えてるが、89800円から84800円に。こりゃもう買うしかない。


 実はPC6001はマイコンの中ではほぼ最低級の性能で、FM-7やX-1など当時の主流機で発売されていた信長の野望は、6001向けはなかった。同じNECの上位機種である8001や8801用はあったが、小学生のお年玉はその辺の上位機種を買えるほどには貯まっていなかったので、これは苦渋の決断であった。しかもこの金額は弟の貯金と合わせたものであり、ゲームが好きなだけできるからと言いくるめた弟の気が変わらぬ内にことを進める必要があった。なお親の援助などは一切なし。むしろ貯金を使う権利を行使する時点でひと悶着あったくらい。

 ようやく購入したPC6001mk2で、とりあえず当時出ていたへぼい作品をいくつか一緒に購入する。ミステリーハウス(コマンド式アドベンチャー)、タイトル忘れたけど野球ゲームあたり。しかしどれもやってみると子供だましであり、あのとき鮮烈に印象に残った信長の野望の面白さには遠く及ばない。いつの日かああいうのを作れるように、プログラミングの腕を磨く日々。

 しかしそんなある日、情報収集のためパソコン雑誌を立ち読みしてたら、信長の野望PC6001mk2版発売予定という広告が。キタコレ。もちろん発売日に買いに行くが、今と違ってPCゲームを売っている店などほとんどない時代。PC専門店となると秋葉原にしかなく、これは家からかなり遠い。あと売ってるとすれば家電屋だが、それとて今ほど店舗がないため、最寄でも新宿に行かねばならない。そして発売日には新宿には置いてなかったので無駄足になった記憶が残ってる。

 が、1ヵ月後ぐらいにはなんとか新宿で入手に成功し、ついに家で信長ができる日がやってきた。しかしテープ版なので、遊ぼうと思ってから1時間近くのロードを待つ必要がある。今思うと、よくそんなの待てたな。一応10分ぐらいで一度テープが止まり、タイトルが表示されるのだが、ここで武将の能力をルーレットで決めるだけ。決め終わるとゲーム本体のロードが数十分かけて再開される。もっともこの能力ルーレットが非常に重要な意味を持つので、実際にはここでも数十分かけねばならないのだが。


 でも信長にはそれだけの価値があった。たとえ平日2時間遊ぶ暇があったとしたら、半分ロードにかけてでも遊んだ。一応当時でも2人同時プレイはできたので、基本的に弟と遊んだ。もっとも同じ画面を共有するので、相手のパラメータとかダダ漏れ。よって暗黙の了解で、プレイヤー同士は争わないというルールが成立した。1Pは織田家、2Pは武田家で固定だったので、早ければ2-3ヶ国の段階で接することはできたのだが。それに1時間かけてロードしたのに、速攻で終わらせてなんとする、というもったいない精神もあった。マップが17ヶ国しかないので、互いに半分ずつ制覇するのもできなくはないし。

 あと当時のゲームというのは非常に不親切で、説明は不足してるわ、難易度は鬼のようだわで、実際問題プレイヤー同士が戦うという以前に、最低難易度でも最初の攻撃をしのいで生き延びれるかどうか、というレベルだった。友達を呼んで2人プレイを始めたはいいが、慣れた自分は生き延びても、初心者の友達は最初の年に滅びました、なんてことはザラだった。

 しょうがないので、友達用に生き延びるコツをメモにしたためるようになった。ゲームの攻略情報である。信長ほどのゲームなら、パラメータを説明するだけでも結構な分量になるはずなのに、マニュアルなんて数ページのペラ紙である。しかも言葉が難解で、読んだところで何のことだか分からない。

 例えば、タミヒヘイというパラメータの説明は、「民の疲弊です」としかない。中学生が疲弊言われても分からんわ。辞書を引くと、どうもマイナス要素っぽい。なら低くしないといかんのだな、と思うが、内政に金をかけるとこのパラメータは上昇する。なるほど石高を上げたはいいが、その分民は疲れてるんだな。回復して差し上げねば、と若かりし皇帝は善良なる領主だったのだが、困ったことにこれを自主的に下げる方法はない。色々試した結果、石高同様、上げれば単純に収入が上がるパラメータだった。マニュアルの記述がむしろ理解を邪魔する。

 ゲームの攻略を他人にドヤ顔で説明するこの癖は、今もホームページに垣間見える性質であり、結局のところゲーマーというのは攻略を教えたくなるようなゲームを求めてさ迷い歩いてるようなもの。そう考えると、私のゲーマーの旅はここからスタートしている。


 ちなみにこの信長はバグが含まれていて、天下統一が近くなって数万の兵糧を送ろうとすると、オーバーフローを起こしてBASICに戻り、エラーメッセージを吐く。オートセーブなんて当然ないし、BASIC上でプログラムをRUNしてみると、テープからプログラムロードを始める。もちろん始めから。ふざけんな。

 趣味で作るプログラミングならともかく、パッケージで数千円も取ってるプロフェッショナルがバグを残してるとかどういうことだ、と憤慨した少年は、パッケージに書いてある光栄本社に電話をかける。しかし日吉本社にかけると、「この番号は使われておりません」だったのはショッキングだった。こんな素晴らしい作品を作る会社とて経営が苦しいのかと。まあ2行目の京都支店に電話したら繋がって、事情が伝わってパッケージを交換してもらえることになったので、潰れたわけでない模様。しかしパッケージに書いた電話番号変えるか普通。

 1ヶ月ぐらいして改良版が戻ってきて、早速プレイ。おお、遠江のことを「オオミ」と書いてあった誤植も直ってる。これは期待できるぞ、と思ったが、同じような局面で結局またエラーが出る。今度は文法エラーだった。劣化してるじゃねえか。誤植ひとつ直してプログラムで誤植してんのかよ。光栄とやらも大したことないな、と企業の製造品質幻想が打ち砕かれたことを覚えてる。


 結局光栄の修正はあきらめて、兵糧輸送の量を自粛するぐらいしか解決法がないことを悟る。そうやっていよいよ天下統一が目前になったところで、脇で見物していた弟がPC本体のカートリッジスロットを暇つぶしにカチャカチャいじってたら、画面がフリーズする。そう、これは本体のバグ。いじってはいかん、とかつて弟には説明したことがあったのだが、穴があったら入れたくなるのは本能なのか。ぶん殴りたくなる衝動をぐっとこらえて、「貸しひとつだからな」で済ませた兄は今考えてもなかなか大人の対応だった。

 が、後に弟に聞いたところによると、この借りをどこかで返されるかもという恐怖から、やがてゲームを楽しめなくなったらしい。いやさすがにそれは兄ちゃんのせいじゃないと思うんだがな。


<人生の変化ポイント>
・IT関連の基礎知識
・IT業界への就職
・マルチプレイ好き
・ゲーマーの旅

など、今の人生の8割ぐらいの要素がここで誕生している。ついでに弟の人生も少し変えてるっぽい。


…なんか初回から重いなこのシリーズ。こんなテンションで続けられるのかな。

(2015年06月20日)

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