人生を変えたゲームたち

その7 Labyrinth of Chaos(PBEM)

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 タイトルうろ覚え。ムラカミ(仮名)企画、天狼星(仮名)製作の内輪向けゲーム。

 大学時代、数々のゲームを1人でやり続けることに飽きてきた私は、対人ゲームというものに強く憧れることになる。が、なんせ時代が時代なんで、PCには対戦する基盤技術がまだ整っていなかった。対戦と言えばホットシートで肩を並べるぐらいしか方法がなく、気の利いたゲームでもせいぜいRS-232Cのクロスケーブル接続だった。

 そのケーブルを買い求め、学校の情報処理室に忍び込み、隣同士のPCをケーブル接続することで一応対戦環境は整ったが、肝心な対戦相手がなかなか見つからない。ポピュラス(PC98)やろうぜと言っても、何それで終わる同級生が大半なの中、やっと知ってるという奴を見つけたところで、1000面やった私とレベルが合うはずもなく、ワンサイドでとてもつまらないゲームになった。

 環境なんかより、相手探しが大変なんだと悟った私は、全国のゲーム好きと繋がる方法があればいいのにな、と夢想するように。やがてこのRS-232Cを通じてモデムを接続することができることを知るのにそう時間はかからなかった。


 もっとも、インターネットという概念はまだ海の向こうにかすかに芽生えてるくらいの時代である。モデムと電話回線を用意したところで、どこに接続すればいいのという肝心の答えが見えなかった。無料で済まそうと思うと、市内の草の根団体ぐらいしかなかった。もちろんそんなところにゲーム好きが集まるはずもなく、有料サイトへの接続を決心する。

 当時存在した大手は、ざっくり言ってNifty-ServeとPC-VANの2つ。規模的にも歴史的にも前者の方が有力だったので、申込書を郵送してみる。が、待てど暮らせど返事が来ない。なんだこれ。地方の大学生だからってバカにしてんのか。1ヵ月後、業を煮やした私は、あてつけのようにもう片方のPC-VANに申込書を送る。幸いにしてこっちはすぐ受け付けられた。

 さて、お目当てはゲーマーの集まるところ。ということで、真っ先に向かったのはゲーマーズサークル(GMC)であった。が、書き込みをしても、同好の士がわらわらと集まるという風でもない。参加者自体は数百、数千人といても、書き込みまでするような奴はどうも数十人レベルっぽい。その中で、ゲームの趣味まで合うような奴というとそうそうはいない。

 いないならば、集めてみせようという志の高さで、マルチプレイができる適当なフリーゲームを持ってきて、複数人数を集めて大会やろうぜと主催してみる。行動は各自メールで送ってもらって、マスターたる私がそれをまとめて代行入力し、ゲームが出力した結果を掲示板に書き込む。PCすらなかった古代に確立された、PlayByMailの電子版、PlayByE-Mailである。

 この大会はそれなりに好評を博し、イベントを成功させた主催者としてそれなりの地位をGMC内で確立するに至る。そうやって、ついにGMC内の重鎮たちが腰を上げる。マンガでいうところの、「我ら四天王が出るしかあるまい」展開である。こうやって知り得たのが、今でも交友が続くむろふう(仮名)、ムラカミ(仮名)、ymzk(仮名)、はまん(仮名)あたりの面子である。一部10年以上音信不通な人も混じってますが、お元気でしょうか。


 そうして重鎮たちとリアルでも遊ぶようになる中で、やっと表題の作品に話が及ぶ。先ほどのような独自企画のひとつとして、重鎮たちのラスボス格であるムラカミ(仮名)が立ち上がる。この人の恐ろしいところは、ひとつはその集客力。確かこの企画は100人近いメンバーが集まったと記憶している。つまり書き込むようなメンバーほぼ全員と、普段書き込まないメンバーまで。

 そしてもうひとつは、自分の気に入ったゲームがなければ作ってしまおうという、企画力を超えた実行力。その実行力を支えるのが、その片腕と呼ばれた凄腕プログラマー、天狼星(仮名)であった。ムラカミ(仮名)の無茶振りに応え、そして報酬などない(らしい)。この作品だけでなく、後にいくつか別のゲームもさくっと作ってしまうような、そんな名コンビであった。

 さてこのLabyrinth of Chaos(PBEM)なる作品は、4-5人でチームを組んで、チーム対抗で誰がモンスターを退けて最深部までたどりつけるかを競う、比較的シンプルな内容。チームは完全にランダムで主催者のムラカミ(仮名)がチーム名をタロットカードで命名。私のチームに対して引かれたのは、そう「EMPEROR」のカード。この瞬間から私は皇帝を自称することになる。

 なにせ不思議な豪運を持つことで有名なムラカミ(仮名)の引いたカード。そんなのただ偶然引いたカードだろう、と言う者は誰もいなかった。もっとも「袁術のような自称皇帝」(はまん(仮名))とか、「おい皇帝」(むろふう(仮名))とか、まったく尊称ととらえてない人々はいたけど。


 この頃、掲示板に活気がないとムラカミ(仮名)から直電がかかってきて、なにか面白いことを書け、とか無茶振りされるようになる。仕方なく近所の八百屋での出来事を書いたりしたのがきっかけで、「皇帝」は「トマト皇帝」に変わる。


 後にGMCメンバーとは、とあるカードゲームに共にどっぷりと漬かることになるのだが、それはまたの講釈にて。


<人生の変化ポイント>
・GMCメンバーとの出会い
・ハンドルネームの命名

(2015年07月12日)

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