天下統一 島津家の場合



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 九州の雄、島津家である。関が原の突撃撤退のイメージから、戦国大名の中でもファンが多く、またゲーム的にも最南端から始まる地勢の良さや多数の猛将により難易度が低いという意味でこれまたファンが多い大名である。久しぶりにプレイして勘を取り戻すには格好の選択と言える。

 当主貴久の能力は軍事6政治10で、凡庸よりややましな程度。政治10あればCPの面でそれほど困ることはないので合格点。ゲーム開始時の配下は、一族の忠将が軍事11と一流。また開始直後に現れる息子の義久が軍事9政治12と親父より一回り器がでかく、以後島津と名の付く者は最低でも軍事8と人材はゴージャス。こんなに恵まれているのはあとは武田家くらいのもの。

 そして地勢。マップ最南端の薩摩から北上する一方だから、背後は基本的に安全。ただ九州は狭いので、史実通り龍造寺・大友と九州三国志をやる羽目になるのは間違いない。また九州は石高がそれほど高くなく、更に四国・中国に進出するともっとひどくなるので兵力増強は意外に苦しかったりする。

 とにかくスタート。まずは国内統一。例によって島津家も一族内でいがみ合っているので、これを制覇しないことには始まらない。初期状態はこんな感じ。


 指宿城(これでいぶすきと読む、九州は読み方がまるで想像つかない名前が多い)を最初に落として背後を万全にし、伊集院城をさっくり落とす。次が問題で、出水城と大口城、どっちを落とすのも条件は同じようなものなのだが、この頃になると大隅の肝付家が侵攻してくる可能性が高い。よって出水→大口の順番の方が肝付対策としては楽である。ちなみに最後の大口城を攻める際に、集結した独立勢力は出水と伊集院、どちらか手薄な城を目指してくる。兵力20となると、レベル4以下の城なら落ちてしまう。できれば、レベル5に築城しておいた方がいいだろう。もちろん築城した城をわざと手薄にするのはこのゲームの常套手段である。

 さて国内統一した後だが、北上して肥後に行く道と、東進して邪魔な肝付を滅ぼす道がある。

1.北上して肥後を手に入れる
 九州の中では石高の高い肥後は、阿蘇家というどうしようもない弱小が独立勢力に押されているので、まとまった抵抗はほとんどない。肥後は人材が豊富で、独立勢力の中に軍事13の甲斐宗運がいたり、また数年後に軍事10クラスが数人出てくる。また本格的な九州三国志になる前に、各個撃破しておきたいところなので、敵に来られる前に肥後は制圧しておきたいところ。

2.肝付を倒して大隅を制圧する
 九州の日陰と言われる大隅・日向には、大した敵がいない代わりに見返りもなにもない。石高も低いし、城レベルだけは妙に高い。将来の禍根を断っておくのは悪いことではないが、5年という限られた時間でこんな雑魚を相手にしている暇はない。却下。


 金のない序盤は兵力1による先攻で肝付を足止めし、1552年末には肥後制圧。肝付を相手にする気は全くないので、金に余裕ができた時点で同盟締結。日陰は無視して、肥後から肥前に回ってまずは龍造寺攻め。実はCOM龍造寺はなぜか強く、東日本の大名でプレイすると8割方最後の敵はこの龍造寺になる。恐らく肥前の石高が高く、序盤に兵力を集中するという戦闘の定石をしっかり踏んでいるからだと思われるが、要するに放置しておくと怖い敵なのである。逆に、軍事15の立花道雪を筆頭に優秀な家臣団を擁する大友家は、COMにやらせると兵力を分散してあっさり負けてくれる。

 そういう理由から先に龍造寺を攻略。幸いにして大友・龍造寺が先に筑後辺りで激突してくれていたので、背後からさくさくと肥前を切り取る。肥後から北上して筑後の大友軍にもちょっかいを出し、1553年には肥前・筑後の制圧完了。次は大友軍だが、今度は毛利が九州に上陸、大友と激戦を繰り広げた末に毛利元就孤立して切腹。何にしても敵同士が消耗し合うのは楽なものである。筑前と豊後を同時侵攻、大友軍を袋小路に入れて壊滅させる。豊後の南半分を残して1554年大友滅亡。

 あと1年で、戦国大名となった毛利の領土をどこまで切り取れるか。まだ筑前にいる兵力を追い返すところからなので、本州に上陸して終わりというところである。最後の1年は豊後に一万田鑑実が登場、大友の残党となって牙を向いてくるので、やむを得ず二軍戦力で応戦。ついでに日向にも兵を向け、毛利切り取りと同時侵攻でとにかく版図を広げることに。最終的には本州は周防・長門、九州は最後の最後で同盟を一方的に破棄して大隅を半分残して全制覇。伊予にも手を出したが、城レベルの高さに撤退。217万石。


最終成果:217万石
1555年冬時点での版図



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