天下統一 武田家の場合



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 武田信玄を知らない日本人はいないであろう。日本史に必ず登場する人物であり、歴史の教科書に肖像画が載ったりするほどの有名人である。病死しなければ日本に武田政権を樹立させた可能性も高く、大抵の戦国ゲームでは激強の設定になっているし、天下統一でも然り。

 それでもまだ弱く設定されてる方かもしれない。二十四将のほとんどは途中からの登場で、開始領土は痩せた甲斐のみ。甲相駿三国同盟のおかげで背後が固まっているだけで、隣接した北信濃には意外に手強い村上義清がいて、その奥には宿敵上杉謙信が控えている。地勢的にはあまり有利ではない。ただ人材に関しては島津と全国一を争うほど豊かで、まず本人からして戦闘12で政治15。飯富(これでおぶと読ませる日本で3番目に難しい名前)虎昌が戦闘14、弟の信繁が戦闘12政治11、小山田信有戦闘12、馬場信春が戦闘9政治11。涎が出そうな面子である。更に、以後戦闘10超が毎年の様に甲斐に出現する。長期的に見れば圧倒的に有利な条件だが、5年限定ではそれほどでもなかったりする。

 甲斐から侵攻できるルートは4国。内2国は同盟国なので、行き先は北信濃か南信濃ということになる。先ほど述べた村上家が意外に面倒で、南の小笠原家は独立勢力相手に死ぬ運命にある雑魚である。選択するコースは、
1.北進コース  結託している村上家、上杉家を連破していく、なかなか硬派な選択と言える。甲斐も信濃も石高が低いので、まともな補給地を入手しようと思うと、美濃か越後が距離的に該当する。どうせ宿敵上杉は2年くらいで向こうから攻めてくるので、後々災いになるくらいなら早めに叩くという考えは間違ってはいない。がしかし、補給地帯を得るために軍神と戦うのは非常に不利である。村上義清自身戦闘14を誇り、史実でもこの義清相手に戸石崩れという名前までついた大敗を喫しているので、まさにイバラの道である。却下。

2.東進コース  この天下統一、基本的に武将能力は西高東低の傾向があり、関東東北は強敵がほとんどいない安全地帯となっている。5年間勝負ならこっちに逃避したくなるのが人情というものである。いきなり北条との同盟を破棄するのも一案ではあるが、初期状態ではあまり差がないのでかなり泥沼の戦いになりがち。更にほっとくと北の村上家が厄介。ここは上杉と同盟しているので、絶対に武田に攻め込みに来るのである。むしろ北信濃は最初に制圧しておいてから、上野に進むというコンピュータ武田がよく採る方法がベター。それでも武蔵はさすがに北条に取られるであろうから、残りの関東地方を切り取り合戦となる公算が大きいので、ちょっと見合わせることに。後ろ髪を引かれつつ却下。

3.西進コース  長期戦の場合はまず間違いなくこのコースを採ることになる。理由は明白。石高が高い上に人材の宝庫である尾張を奪って、今川家を東海道に封じ込める為である。同盟破棄が結構厄介なこのゲーム、同盟国はある意味敵国よりも動向に注意すべき相手であって、下手に大きくなるとこっちのコースを塞ぎに回るのである。もしうまく共存できたとしても、接触面積が広い状態でいきなり破棄され、交戦に入るとかなり嫌らしい。キーポイントとなる尾張を今川に取られるのだけは避けたいところである。
 またこの案では美濃という全国で2位の石高を持つ土地も入手でき、5年間の成果としては東進案と同レベルかそれ以上と考えてよい。ただ問題は敵がやたらと増える点であり、上杉はもちろんのこと、封じ込めた今川も敵に回り、美濃・尾張を制した時点で西日本から来る朝倉か六角辺りとも交戦することになる。豊富なコマンドポイントを遠慮なく使える、充実した戦いになること必至である。それに信玄が京を目指さなくてどうする。結局最後は感情論で採用。

 西進するにしても、北信濃は制圧してから行く。武田の陣容なら南信濃と同時侵攻すら可能。変なヘマをしなければ戸石崩れなど起きはしない。南信濃も速やかに抑えたら、次は美濃入り。斎藤道三が生きていたとしても、独立勢力となっている美濃三人衆(安藤、稲葉、氏家)や蜂須賀が結構強いのでまだ付け入る隙はあるはず。戦闘13のスーパーじじいが天に召されたら美濃制圧も楽勝。しかし本来の目的は美濃よりもむしろ尾張。美濃入りしたら、すぐに尾張に侵攻して、余剰兵力で美濃をついでにという贅沢な兵の使い方ができるのは、優秀な武将が多い武田ならではである。織田家中の優秀な武将は、兵を持っている間に引き抜く。これまた威信が高くて政治力の高い武田家だから簡単。柴田勝家、滝川一益はもちろん、ほかにも兵力の多い順に片っ端から引き抜いて、味方同士で争わせる鬼の様に非情な作戦で、3年の時点で美濃・尾張完全制圧。

 ここからは進むルートが多すぎるが、こうなればもう人材でも兵力でも、他の大名家は敵ではないので、5年間のタイムトライアルに専念する。敵は時間だけ。それはすなわち無駄な金を使わないことでもある。金を使い過ぎて攻められない、という事態はこのゲームにおいてはしばしば、特に夏に起こりやすい現象であるが、5年間という短い時間にこんなことをしていては話にならない。武田家のように、引き抜いた人材が多く、兵力も多く、いち早く戦国大名になったりすると出費が最悪に膨れ上がるので、できるだけ最小限の人数で攻めに行くという、プレイヤーの経理能力が必要とされる。

 とりあえず最終石高を上げる為にも、秋の収穫を当てにする為にも、石高優先で侵攻先を決める。第一目標は伊勢。ここも日本で5本の指に入る穀倉地帯である。大名は北畠家、独立勢力も兵の少ない一向一揆で、まるで雑魚と言っていい。速やかに平定し、同時に南近江にも踏み込む。大抵ここは六角家が統一して、そのままこっちに攻め込んでくるところであるが、今回は先手を打ってこちらから入る。戦うなら敵地で、とは武田信玄の有名な格言。天下統一では実にこの格言通りで、戦闘している国では住民感情が下がって徴兵に悪影響を及ぼす。

 この時期なら敵大名は大した兵力も持っていないので、もはやどこでも連戦連勝。伊勢、南近江の後は越前、北近江、大和、山城と快進撃を続け、いよいよ運命の5年目の冬。丹後、丹波、摂津、阿波、紀伊と脅威の進軍で版図を広げ、北条の時に比べて遥かに記録を上回る。進軍の早さ、石高の高さと言う点で、他の大名家では再現できない記録ではなかろうか。


最終成果:416万石
1555年冬時点での版図



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